| 洗濯石鹸がなくなった日 -げんばきろく- |
| 療育の現場では、 「これでよかったのかな?」 と、時間が経ってからも考え続ける出来事があります。 この話も、今でも時々思い出す出来事です。 当時、私たちの現場では、 掃除や洗濯などの生活活動を、毎日子どもたちと帰る前に時間を設け一緒に行っていました。 ある日、洗濯が初めてだったひまわりくん(耳が聞こえない、ダウン症の男の子)が、 空の洗濯石鹸箱を私にニコニコ見せてきます。 ![]() 『洗濯石鹸無くなったんだね。新しいのをだそうね』 と言った後、 (...あれ?おかしいな?昨日新しい洗濯石鹸だしたよな?) と思っていると、 『ぎゃー!miyuさーん!』 と子どもたちの叫ぶ声が、、 急いで声の方に駆けつけると 洗濯機の中だけでなく、 部屋中が泡だらけになってしまいました。 ![]() 正直、その瞬間 「やらかした」 「どうして私、早く気付かなかったの」 「事前にもっと説明すべきだったのか」 と、後悔が頭をよぎりました。 洗濯機の横には視覚支援で洗濯石鹸の量を写真ではっていましたが、初めてのひまわりくんには分からなくて当然でした。 ひまわりくんも目を丸くしてびっくりしていました。 その日は みんなで一緒に泡だらけの部屋を掃除しました。 いつの間にかみんな笑いながら... 泡を拭き取りながら、 「多すぎるとこうなるんだね」 「一箱はやったな(笑)」 「このくらいでいいんだよ」 と、子どもたち同士でしぜんにジェスチャー〈ひまわりくんに〉や言葉が生まれていきました。 それからというもの、 洗濯の場面では 適量が分からない子に、分かる子が声をかけ、教える姿が見られるようになりました。 もちろん、ひまわり君にも伝わるまで子どもたち同士で伝えていました。 『部屋泡だらけになるんやからー‼️笑』 と笑いながら あの日の出来事が、 誰かを注意する経験ではなく、 みんなで学ぶ経験になったのだと思います。 それでも今でも、 「あの時の対応は本当に正解だったのか?」 と考えることがあります。 けれど、 子どもたちが関わり合いながら育っていく姿を思い出すたび、 間違いだけではなかったのかもしれない、 そう感じています |